2020年5月30日 (土)

テセウスの船から思うこと

テセウスの船というドラマを観て、漫画が元ネタということを知り、テセウスの船がパラドックスの一つということを知りました。ドラマは少々腑に落ちず、漫画のラストを立ち読みして漫画の方が腑に落ちました。。。っと、今回はそんな話ではなく、パラドックスの方に興味が沸きました。

これよりWikipediaから引用 「テセウスの船(テセウスのふね、英Ship of Theseus)はパラドックスの一つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か、という問題(同一性の問題)をさす。」これは数年前から関わってる建築の保存にも少し繋がっているなと思いながら、読み進めると、ブルタルコスという人が「全部の部品が置き換えられたとき、その船が同じものと言えるのか」という疑問を投げかけ、また「置き換えられた古い部品を集めて何とか別の船を組みたてた場合は、どちらがテセウスの船なのか」なんてことが書いてある。この場合、僕的には前者がテセウスの船であり、後者は「別の船」と書いてることからも別の船だと解釈します。

さて話を戻すと、テセウスの船の疑問に解答の試みがあり、「アリストテレスの四原因説」は、事象の原因を「形相因」・「質量因」・「目的因」・「動力因」の4つに分けて答えることができるとされているらしい。その先が他にもあるようですが、この辺りで建築の保存話に繋げると、「形相=外観」・「質量=素材」・「目的=用途」・「動力=設計者」と考えることが出来るんじゃないかと思いました。あと、「復元」と「復原」も一般的(?)な保存に出てくるのと少し解釈が違って整理してて、簡単に書くと「復元」は根拠があれば何でもいい。「復原」は現物が残っていて「復原」する四原因説でいえば「質量因」がはっきりしているもの。絵画なんかは、この辺りを成分・年代まで追いかけてると思います。「動力因」を設計者にしてますが、製法などをこちらに入れるか「質量因」に入れるか、、、まっ、あくまで個人的な整理ですが、保存改修として進めるには重要な所だと思いますし、議論すれば面白い所です。ちなみに製法についてはケースバイケースとして考えていかざるを得ないと思います。

保存についての個人的意見としては、オリジナルに戻すことを優先してもいいと思っています。もっと言えば、先述の四原因説を全て満たすべきだと思います。1つでも欠けると保存再生になり、優先順位などが発生変化します。僕自身は、保存より再生に興味がありますし、こちらを目指すべきだと思っています。昨年、文化財保存のシンポジウムに参加した際に「悪魔のささやき」と言ったいわゆる改変を良しとしないように聞こえました。オリジナル優先であれば納得できるのですが、生まれ変わろうとしている建築であれば、改変を良しとして建築的創造に向かうべきではないかと思っています。これを個人的に「天使のためいき」と名付け、溜息になるくらいなら悪魔のささやきにのっかっていきたいし、有意義で難しく挑戦的だと思っています。もちろん積極的に崩すのではなくオリジナルへのリスぺクトを持って再解釈し再構築していくことが文化財的な保存再生だと思います。ひとまずは、このあたりとして次に西条栄光教会の際に考えたことを述べたいと思います。

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2007年4月18日 (水)

景観考

 景観とは、つくられる景色と概ね理解しています。風景に対して美的な配慮を行うことで景観をつくると言えるのだと思いますが、主観的・客観的に通じていて非常に難しい。平成17年に景観法なるものが制定され、景観は規制されるものとなりましたが、景観という定義はなく あいまいです。そして法による規制もなく、各自治体(今治市は景観行政団体となっている)が行うようになっています。21世紀となり環境問題が非常に身近になりました。これは環境に対して支配するものから守るものへ方向転換する社会が表面化したものだと思っています。そうなると国ではなく世界へ共通性を求め、そして国ではなく地域へ依存する社会となってきています。この場合にも景観においては、発展、保存、再生などを自然、人間、社会の関係から捉えて考えると還元しにくい。現状は荒廃していて理想論をうち立てるのも難しいように思います。しかしある共通感覚(コモンセンス)によって進み始めているのも事実として捉えたい。そしてひとつの建築でも景観は変化すること、景観は人々の気持ちに、意識に影響を与えることを忘れてはならない。それが建築、景観に携わるものの責任だと思います。

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